ファイル交換、動画共有を支えているものは

この間、大学の友人が興味深い話をフってきた。
それは「他人にDVDやCDを貸すのがいやだ」ということ。
最初はただ単に「あんまり他人に自分の持ち物を貸すのがいやな性分なんだなー」とかしか思わなかったが、その真意は「自分が金を出して買った商品を他人がタダで使用することが納得できない」ということだった。
彼の言い分は人によっては「ただのケチなやつの言い分」と捉えられるかもしれないが個人的には自分の中で見過ごしてきた、言い換えると認識していたがあえて見過ごし、納得していた考えが再び蘇るような感覚をおぼえた。
自分にもこういう考えはなかったわけではないが、その対極の思想を再び捉える機会であったのでちちょっと記してみようと思う。


1980年代からの8ビットPCソフトウェアの不正コピーシェアリングから始まり、WinnyやShare、WinMXなどのファイル交換ソフトを使用した現在に至るまで著作権をめぐる議論はいつの時代もなされてきた。
最近ではYouTubeニコニコ動画などの動画共有サイトまでがその議論の対象になっている。
最初に述べた友人の一連の発言は現状のネット界隈にリンクしているものだと思う。


「他人にDVDやCDを貸すのがいやだ」と考える人間がいる一方、ファイル交換ソフト動画共有サイト著作権のあるコンテンツをアップする人間もいる。
このコンテンツはもとをたどればちゃんとお金を出して購入した人間がいるということで、彼がどういう考えをもってネット上にアップしているのかということになる。
しかしながらこのアップロード者には全くもって物理的な見返りというものがない行為によって動画共有サイトなどが持っているということを考えると、やはり何らかのモチベーションというものがあるのだろう。
僕の頭の隅にずっとこの考えが、そして答えがひっかかっていたが、改めて考えるとやはりアップロード者のモチベーションを保っているのは「ダウンロード者による賞賛」しかないように思える。
ファイル交換ソフト全盛期では2chやソフト特設の掲示板で「神」と崇められ、それを快感ととらえてさらに著作物を流出させる者がいたし(それが元でとっ捕まったやつもいたが)、動画共有サイト全盛期の現在はもっと直接的に「再生数」と「コメント」という形で現れアップロード者のモチベーションをさらに刺激する。
この場合、MADとは違い著作物を丸々上げている訳だから「うp乙」だとか「サンクス!」だとかのコメントで埋め尽くされるわけなんだけども、これでも快感を覚えてしまってるのではないだろうか。


「自分が金を出して買った商品を他人がタダで使用(閲覧)することが納得できる」どころか「自分が金を出して買った商品を他人がタダで使用(閲覧)して感謝してもらっただけで快感を覚える」ということは見方によっては異常?とも言えるかもしれない。
しかしながらこういう無意識的な考えのもとにファイル交換や動画共有サイトが繁栄しているということはあまり認識されていない、というよりすでに暗黙の了解となってしまったとでも言うべきなのか。