欲しいものがあるならば

なんていうか最近、なりたい自分を妄想して悦に浸るという全く生産性がなく、人間としても危険なことをしているような気がする。
「自分がこうであったらいい」と考えてるうちに時間が過ぎているということに気づくと、まるで別の人格に体を乗っ取られていたような気分。
カーネギーの「人を動かす」の中に理想の自分を自身の中に作り上げてそれを現実と認識してしまった女性が出てきたことをふと思い出した。
あそこまでひどくはないが、それに通ずるものが自分の中にあるような気がする。
うーん、怖い。というかイタい・・・。


要はないものねだり。この一言で片付けられる。
Twitterだとか、はてな村だとかに僕にはないあらゆるものを持っている人が多くて、それらに多大に影響を受けているものなんだと思う。
どう考えてもないものねだりだよなー。
その人たちは妄想ではなく「持っている」。それを持つのに多大な努力をしたのだろう。妄想ではない。


高校3年のときの担任が「ないものねだりをしてもしょうがない」とよくつぶやいていたことを思い出した。
欲しいものがあるなら自ら手を伸ばさねばならない。
当たり前ことだけど多くの人が忘れがちのこと。